Japan vs Global Fintech

組み込み型金融(Embedded Finance)のグローバルトレンドと日本市場への示唆

Tags: 組み込み型金融, Embedded Finance, API, フィンテック戦略, 金融機関, 比較分析, BaaS

はじめに:組み込み型金融への高まる注目

近年、金融サービスは伝統的な金融機関のチャネルを超え、多様な非金融事業者のサービスやプラットフォーム内にシームレスに「組み込まれる」傾向が加速しています。この動きは「組み込み型金融(Embedded Finance)」と呼ばれ、顧客がモノやサービスを購入・利用する一連の体験の中で、自然な形で決済、融資、保険、資産運用といった金融機能を利用可能にするものです。

このトレンドは、非金融事業者にとっては顧客体験の向上や新たな収益源の獲得を可能にし、利用者にとっては利便性の劇的な向上をもたらします。一方で、金融機関にとっては、自社チャネルを介さない取引が増加することによる顧客接点の希薄化や、既存の収益モデルへの影響といった課題を提起します。本稿では、組み込み型金融のグローバルな動向と日本における現状を比較分析し、日本の金融機関がこの変化にどう向き合うべきか、戦略的な示唆を提供いたします。

世界における組み込み型金融の現状と進化

世界の組み込み型金融市場は急速な成長を遂げており、特に北米や欧州を中心に多様なユースケースが展開されています。市場調査会社のレポートによれば、グローバルな組み込み型金融市場は今後数年間で数兆ドル規模に達すると予測されています。

主なトレンドと事例

  1. 組み込み型決済(Embedded Payments):

    • 最も普及している形態であり、ECサイトでのワンクリック決済や、ライドシェアアプリ内での自動決済などが典型例です。Stripe, Adyenといったフィンテック企業が提供する高度なAPIや決済処理プラットフォームが、多くの非金融事業者に決済機能を組み込むことを可能にしています。
    • 単なる決済処理に留まらず、後払い(BNPL:Buy Now, Pay Later)のような融資機能と連携した決済ソリューションも拡大しています。
  2. 組み込み型融資(Embedded Lending):

    • 購入時点でのBNPLのほか、SaaSプラットフォーム上での企業向け運転資金融資、POSシステムを通じた小売店への融資などが含まれます。
    • 非金融事業者が保有する顧客の行動データ(販売実績、利用頻度など)を活用することで、金融機関単独では難しかった精緻な信用評価や迅速な融資判断が可能になっています。Shopify Capital(Shopify)のようなプラットフォームが、連携するフィンテックや金融機関を通じて加盟店への融資を提供しています。
  3. 組み込み型保険(Embedded Insurance):

    • 製品購入時やサービス利用時に、関連する保険(例:航空券購入時の旅行保険、電化製品購入時の延長保証保険)を同時に提案・契約できる形式です。
    • 顧客のニーズが顕在化するその瞬間にアプローチすることで、高い成約率が期待できます。多くのInsurtech企業が、API経由で保険商品を提供するプラットフォームを開発しています。
  4. 組み込み型バンキング(Embedded Banking as a Service - BaaS):

    • 非金融事業者が、自社ブランドで預金口座やデビットカード、クレジット機能などを顧客に提供する形態です。これは、Fintech企業や伝統的金融機関が提供するBaaSプラットフォームを利用することで実現されます。
    • テクノロジー企業、リテール企業、通信会社など、様々な事業者が自社の顧客囲い込みや収益多角化のためにBaaSを活用しています。一例として、海外では小売業者が独自の金融サービスを提供し、顧客ロイヤルティ向上につなげています。

成功要因

世界の組み込み型金融の成功は、以下の要因に支えられています。

日本における組み込み型金融の現状と課題

日本市場においても、組み込み型金融への関心は高まっていますが、グローバルなトレンドと比較すると、市場の浸透度や進化のスピードには差が見られます。

現状の取り組み

日本市場の特性と課題

日本における組み込み型金融の普及を促進または阻害する要因として、以下の点が挙げられます。

日本と世界の組み込み型金融比較から導かれる示唆

日本と世界の組み込み型金融の現状を比較すると、いくつかの重要な示唆が得られます。

  1. 市場規模とプレイヤー層の違い: 世界では、テクノロジー企業が主導し、アグレッシブに金融機能を自社サービスに組み込む動きが顕著です。対照的に、日本では金融機関自身や既存のフィンテック企業が主導するケースが多く、非金融事業者の大規模な参入はまだ限定的です。これは、前述の法規制やデータ活用の課題が影響していると考えられます。
  2. 技術基盤と連携戦略: グローバル市場では、柔軟性の高いクラウドネイティブな技術基盤を持つFintechやTech企業が、APIを通じて金融機能を提供・活用するエコシステムを形成しています。日本では、レガシーシステムからの脱却や、パートナーシップ構築における調整に時間を要する場合があります。
  3. 規制環境の進化: 世界の規制当局は、フィンテックのイノベーションを促進しつつリスクを管理するため、オープンバンキングやデジタルIDに関する枠組み整備を進めています。日本でも金融規制のサンドボックス制度などが導入されていますが、組み込み型金融特有の論点(例:非金融事業者が担う役割と責任範囲)に対する明確化はさらに必要となる可能性があります。

日本の金融機関が取るべき戦略的アプローチ

世界のトレンドと日本市場の特性を踏まえ、日本の金融機関は組み込み型金融に対して以下の戦略的アプローチを検討すべきです。

  1. 脅威としての認識と同時に、機会としての捉え方: 組み込み型金融は、金融機関の顧客接点を奪う脅威であると同時に、新たな事業機会でもあります。非金融事業者の強力な顧客基盤やデータ、そして顧客体験デザイン能力と連携することで、新たな収益源やサービス提供チャネルを確立できる可能性があります。
  2. BaaSプロバイダーとしての進化: 自社の持つ信頼性の高い金融インフラやノウハウを、APIやホワイトラベルサービスを通じて非金融事業者に提供するBaaSプロバイダーとしての役割を強化することです。そのためには、スケーラブルでセキュアなAPI基盤の構築、非金融事業者のニーズを理解したサービス設計、そしてアジャイルな開発体制が不可欠です。
  3. 戦略的なパートナーシップの構築: 競争相手とみなされがちな非金融事業者やテクノロジー企業と、組み込み型金融領域でのパートナーシップを積極的に模索することです。どのような業界(リテール、製造、SaaSなど)の、どのようなニーズに対して、自社の金融機能を提供できるかを具体的に検討し、PoCなどを通じて連携モデルを確立していく必要があります。
  4. データ活用の高度化と規制対応: パートナーから提供されるデータや、自社が保有する顧客データを、顧客の行動文脈に沿った最適な金融サービス提案に活用する仕組みを構築します。同時に、個人情報保護や金融規制遵守を徹底し、信頼性を維持することが長期的な成功には不可欠です。
  5. 組織文化と人材育成: 外部連携を重視し、変化に柔軟に対応できる組織文化への変革が必要です。金融の専門知識に加え、テクノロジー、データ分析、パートナーシップマネジメントのスキルを持つ人材の育成・獲得が急務となります。

将来展望とまとめ

組み込み型金融は、金融サービスがより「見えない」形で、顧客の日常生活やビジネスプロセスの中に溶け込んでいく流れを加速させます。将来的には、金融機関の役割は、直接的な顧客チャネル運営から、信頼できる金融インフラと専門知識を提供する「金融機能の卸売業」的な側面を強める可能性も考えられます。

日本の金融機関は、世界の先進事例を参考にしつつ、日本市場特有の事情を踏まえ、組み込み型金融を単なるトレンドとしてではなく、業界構造そのものを変革しうる重要な戦略課題として捉える必要があります。積極的な技術投資、柔軟なパートナーシップ戦略、そして規制当局との対話を通じて、この新たな波を成長の機会へと転換していくことが求められています。